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【ウマ娘】裸足のシンデレラと呼ばれた馬!名牝たちの頂点に立ったイソノルーブルの物語

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こんにちはピヨたけです。

裸足のシンデレラと呼ばれた馬がいたことをご存知でしょうか?どん底から這い上がり不運に見舞われながらも最後に栄冠を掴み取った馬。

その馬の名はイソノルーブル

今回はそんなイソノルーブルの物語です。

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血統背景から来た悲劇

父ラシアンルーブル・母キテイテスコの配合。

ラシアンルーブルの父は大種牡馬ニジンスキー。ニジンスキーと言えばマルゼンスキーの父でもあります。

マルゼンスキーの近親に当たりますが、当のラシアンルーブル事態はアメリカで7戦2勝とパッとしない戦績。当時マルゼンスキーの活躍により大量に輸入されたニジンスキー産駒の一頭という位置付けです。

母のキテイテスコは父こそ当時リーディングサイアーになったこともあるテスコボーイですが、戦績は5戦未勝利とこれまたパッとせず。

地味な血統背景から2歳春まで買い手がつかずにJRAが最低価格の500万円での買取となってしまいます。

その後、JRAの牧場で育てられ抽せん制度により分配。この抽せん制度とはJRAが購入した馬を会員に分配する制度のことで、会員の任意購入だけでは十分な新馬数が見込めないなどの理由で行われていました。現在では廃止されています。

要するにイソノルーブルは買い手がつかなかったので、とりあえず頭数合わせのためにもらってくださいというクジ馬だったのです。

連戦連勝と不運

ところが競馬とはわからないもので、クジ馬のレッテルを貼られたイソノルーブルはデビューからGⅡの4歳牝馬特別を含む破竹の5連勝を成し遂げます。

そしてたどり着いたクラシックの舞台、桜花賞では2.8倍の一番人気に押されます。

しかしここでイソノルーブルの身に歴史に残るトラブルが発生。

馬場入り後、初のGⅠの大歓声に馬が驚き右前足の蹄鉄が外れる事態に。普通なら外れた蹄鉄は打ち直してレースに出るのですが、この時イソノルーブルが暴れたもので打ち替えることが出来なかったのです。

仕方なくJRAは蹄鉄を打ち替えることを諦め、イソノルーブルは桜花賞というGⅠの舞台で靴を履かずに裸足のまま出走することに。

蹄鉄をつけてないイソノルーブルはスタートからダッシュがつかず5着に敗れてしまいます。

陣営は敗因を落鉄した際に蹄鉄の打ち替えが出来なかったからだと説明。イソノルーブルを落ち着かせるために馬場から一度退去して蹄鉄の打ち直しを提案したが聞き入れられなかったとコメント。

この時JRAはイソノルーブルが落鉄した事は観客に伝えていましたが蹄鉄の打ち直しが出来ずにそのままスタートする事実は告げていませんでした。このことによりイソノルーブルの馬券を購入したものが「事実を公表せずに損害を受けた」として民事訴訟にまで発展する事態に(イソノルーブル事件)。

かくして500万のクジ馬が実力でGⅠの舞台にたどり着くも、不運により靴を履けずに舞台を去ったことから、某童話に例え、裸足のシンデレラと呼ばれることになったのです。

掴みとった栄冠

しかし、裸足のシンデレラの物語はここでは終わりません。

桜花賞を5着に敗れたイソノルーブルは次戦を優駿牝馬オークスに定めます。元々気性に問題のあったイソノルーブルは道中で折り合うことが出来ず、逃げの脚質しか出来なかった。それが果たして東京2400mを逃げ切れるのか?という疑問と8枠20番のオークスでは圧倒的に不利な大外枠を引いたため単勝4番人気と低評価。

さらにこのオークス、メンツがまた凄い。

メジャーエンブレムやアドマイヤマーズなど活躍馬を多数輩出したダイワメジャーと、ウマ娘で人気のダイワスカーレット兄妹の母スカーレットブーケ。

2002年のダービーで、あのエフフォーリアの祖父シンボリクリスエスを下したタニノギムレットの母タニノクリスタル。タニノギムレットはウオッカの父でもあります。

そしてサイレンススズカ、メジロブライト、マチカネフクキタル、シルクジャスティスと名馬が揃った年のダービー馬サニーブライアンの母サニースイフト。

後の歴史に残る名馬達の母が一同に会したオークスだったのです。

レースが始まり好スタートを切ったイソノルーブルはスタンド前で早くも先頭に立ちます。

最終直線で一度は抜かれるも持ち前の根性で競り落とし単独先頭に最後は猛然と追い込んできた桜花賞馬で一番人気のシスタートウショウをハナ差で凌ぎ切り樫の女王の座に着きました。

オークスを逃げ勝った馬は1975年のテスコガビー以来16年ぶり。そしてイソノルーブルを最後に今日まで逃げ勝った馬はまだ出ていません。

その後

イソノルーブルはその後エリザベス女王杯に出走するも靭帯炎を発症し16着に惨敗。復帰に向けて療養を続けたが完治せずそのまま引退。

繁殖後は11頭の仔を生みましたが、重賞勝ちはならず初子のイソノウイナーのガーネットS2着が最高

8番仔のイソノスワローは繁殖牝馬になり、その仔モンストールは2011年の新潟2歳ステークスを制しました。

自身は繁殖牝馬を引退後、功労馬として繁用され、2013年老衰によりこの世を去りました。

最後に

シンデレラはガラスの靴を残して舞台を去るも、王子が見つけ、見染められ、最後は幸せになります。

悲劇や不運に見舞われながらも最後に栄冠を掴んだイソノルーブルの物語は正にシンデレラストーリー。

余談ですが昔は裸足のシンデレラみたいな馬の異名が良くあったんですよね。例を挙げると流星の貴公子テンポイント、シャドーロールの怪物ナリタブライアン、そして金色の暴君オルフェーヴル。

現代ではあまり見かけなくなりましたが、こういう馬の異名ってカッコイイよくてピヨたけは大好きです。

最後になりますが、叶うのであれば怪我で失われてしまった裸足のシンデレラのアフターストーリー。ウマ娘の世界で紡いでくれたのならばまた一つ、救いの物語が生まれるかもしれません。

ここまでみてくださってありがとうございました。それではまた。

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