こんにちは、ピヨたけです。
ミスターシービー、かっこいいですよね。
何者にも縛られず、自分の信じる道を貫くその姿は、現代社会を生きる私たちにとって眩しく映ります。
そんなミスターシービーですが、元ネタとなった競走馬は一体どのような馬だったのでしょうか。
今回は、競馬史にその名を刻んだ三冠馬ミスターシービーについて解説していきます。
天馬トウショウボーイの最高傑作

ミスターシービーの血統は、父トウショウボーイ、母シービークイン、母父トピオです。
父トウショウボーイは、テンポイント、グリーングラスとともに一時代を築いた名馬で、3頭の頭文字を取って「TTG」と呼ばれました。
種牡馬としても成功を収め、ミスターシービーのほか、パッシングショット、ダイイチルビー、シスタートウショウなど、多くのGⅠ馬を送り出しています。
母シービークインの父はトピオ。トピオはファイントップの直仔であり、そのファイントップはディクタスの祖父にあたります。
そしてディクタスは、イクノディクタスや名馬サッカーボーイの父としても知られています。
実はミスターシービーとサッカーボーイは近い血縁関係にあり、両馬の卓越したスピード能力は、共通の祖先であるファイントップから受け継がれたものなのかもしれません。
さらに興味深いことに、父トウショウボーイと母シービークインは同じ新馬戦でデビューした馬同士でした。
その2頭が引退後に結ばれ、後に三冠馬ミスターシービーを誕生させたというのは、競馬ならではのロマンを感じさせるエピソードです。
雨の皐月賞
三冠レースの第一関門、皐月賞。
しかし当日の中山競馬場はあいにくの雨。不良馬場となったコースは、まるで田んぼのような状態でした。
後方一気を得意とするミスターシービーにとって、これは決して歓迎できる条件ではありません。
レースがスタートすると、シービーは道中16~17番手付近を追走。
向正面から徐々に進出を開始し、3コーナーでは中団へ。さらに勢いそのままに順位を上げ、最終コーナーでは先頭を走るカツラギエースの直後まで迫ります。
そして直線。
シービーは一気にカツラギエースをかわして先頭へ躍り出ると、後方から追い込んできたメジロモンスニーの追撃を半馬身差で振り切り勝利。
まずは三冠の一つ目、皐月賞を手にしました。
ダービーポジションなんてなんのその
昔から競馬界には「ダービーポジション」という言葉があります。
当時の日本ダービーは20頭を超える多頭数で行われることが多く、大外枠や後方待機策の馬には不利なレースでした。
そのため、
「ダービーを勝つには道中10番手以内につけなければならない」
と言われており、その理想的な位置取りを「ダービーポジション」と呼んでいたのです。
さらに、そのポジションを確保するには枠順や展開といった運も必要になることから、
「ダービーは最も運のいい馬が勝つレース」
とも言われていました。
ところが――。
レースが始まると、シービーはまさかの出遅れ。
一番人気馬の失敗に場内は騒然となります。
当然、ダービーポジションなど取れるはずもなく、最後方からの競馬を余儀なくされました。
誰もが思いました。
「あの位置からでは届かない」
と。
しかしシービーは違いました。
3コーナーから徐々に進出すると、4コーナーでは大外へ。
そして直線で一気に先頭へ躍り出ます。
普通の馬なら、そこまで脚を使えば最後に失速してしまいます。
ですがシービーはさらに伸びました。
後方から追い込んできたメジロモンスニーを再び退け、日本ダービー制覇。
競馬の常識とされたダービーポジションなど、この馬には関係ありませんでした。
その常識破りの走りは、多くのファンに強烈なロマンを抱かせたのです。
タブーを犯した菊花賞
三冠レースの最終戦、菊花賞。
3000mという長距離戦だけに、スタミナが問われるレースです。
父トウショウボーイがこのレースで敗れていたこともあり、シービーにもスタミナ不安説がささやかれていました。
それでもファンの期待は大きく、19年ぶりの三冠馬誕生を目指して単勝2.1倍の一番人気に支持されます。
レースが始まると、今回も最後方からのスタート。
そして運命の瞬間は、二周目の第3コーナー付近で訪れました。
シービーが前へ行きたがる素振りを見せたのです。
しかし、その場所は京都競馬場最大の難所。
高低差4.3mの上り坂でした。
ここで加速してしまうと、その先の下り坂で外へ膨れやすくなり、大きな距離ロスにつながります。
そのため、
「ここで仕掛けるのはタブー」
とまで言われていました。
ところが鞍上・吉永正人騎手が手綱を緩めると――
シービーは一気に加速。
次々と前の馬を飲み込み、下り坂を駆け下りる頃には先頭に立っていました。
競馬の常識を覆す進出劇。
観客席からは大きなどよめきが起こります。
そして直線。
先頭で駆け抜けるシービーを見ながら、実況の杉本清アナウンサーはこう叫びました。
「大地が、大地が弾んでミスターシービーだ!」
競馬史に残る名実況です。
ウマ娘における進化スキル「弾む大地」の元ネタも、この実況だと言われています。
シービーはそのまま後続を抑えてゴール。
1964年のシンザン以来、実に19年ぶり。
史上3頭目となる三冠馬が誕生した瞬間でした。
ダービーに続き、再び競馬の常識を覆したミスターシービー。
不可能を可能にしてしまうその走りに、ファンはますます魅了されていったのです。
二頭の三冠馬
翌年、古馬となったミスターシービーは天皇賞(秋)を制覇し、これでGⅠ4勝目を達成します。
そして迎えたジャパンカップ。
このレースには、シービーより1歳年下の史上4頭目の三冠馬・シンボリルドルフも出走していました。
三冠馬同士の激突。
当然ながら、
「ミスターシービーとシンボリルドルフ、どちらが強いのか」
という話題で競馬ファンは大いに盛り上がります。
さらに当時のジャパンカップにはもう一つの意味がありました。
1981年に創設されたこのレースですが、日本馬はまだ一度も勝ったことがありません。
今でこそ日本馬が世界を席巻していますが、この頃はまだ海外馬との実力差が大きく、日本馬は挑戦者の立場でした。
だからこそ、
「三冠馬が二頭もいるのだから、今度こそ勝てるはずだ」
という期待が高まっていたのです。
しかし、結果は誰も予想しないものでした。
勝ったのはカツラギエース。
クラシックではシービーの影に隠れがちだった存在が、二頭の三冠馬を相手に堂々と勝利。
日本馬として初めてジャパンカップを制覇する快挙を成し遂げたのです。
一方、
ルドルフは3着。
シービーは10着。
まさかの大敗でした。
怪物との邂逅
続く有馬記念。
シービー、ルドルフ、カツラギエースの三頭が再び激突します。
結果は、
1着 シンボリルドルフ
2着 カツラギエース
3着 ミスターシービー
ルドルフはもちろんのこと、かつてクラシックで下したカツラギエースにも先着を許してしまいました。
かつては常識外れの末脚でファンを熱狂させたシービー。
しかし、その輝きは少しずつ陰りを見せ始めていました。
それでもファンは諦めません。
「ミスターシービーなら再び奇跡を起こしてくれる」
そんな期待を胸に迎えたのが、三度目の直接対決となる天皇賞(春)でした。
しかし結果は5着。
勝利したシンボリルドルフから10馬身もの差をつけられての完敗でした。
結局、シービーはルドルフとの対戦で一度も先着することができませんでした。
その後、骨膜炎を発症。
現役続行は困難となり、引退を迎えます。
かつて不可能を可能にし続けた三冠馬。
その最後は、どこか寂しさを感じさせるものでした。
種牡馬として
引退後は、父トウショウボーイの後継として種牡馬入りします。
初年度産駒のヤマニングローバルがデイリー杯3歳ステークスを勝利するなど、幸先の良いスタートを切りました。
しかし、そのヤマニングローバルはレース後に複雑骨折が判明。
長期休養を余儀なくされてしまいます。
続く世代ではシャコーグレイドが活躍。
クラシック戦線で大きな期待を集めました。
ところが、その前に立ちはだかったのは――
シンボリルドルフの息子、トウカイテイオーでした。
父ミスターシービーがシンボリルドルフに勝てなかったように、
シャコーグレイドもまた、トウカイテイオーに一度も先着することができませんでした。
まるで運命に翻弄されるかのような巡り合わせでした。
結局、父の血を繋ぐ大物後継馬は現れず、ミスターシービーの父系は途絶えることになります。
しかし、その血が完全に失われたわけではありません。
母父としては、ジャパンカップダートを制したウイングアローを送り出しています。
血は未来へ
さらに母父として残した血の中には、オーロラテルコという繁殖牝馬がいます。
そして、このオーロラテルコとトウカイテイオーとの間に生まれたのがクワイトファインです。
クワイトファインは非常に珍しい経歴を持つ馬でした。
その貴重な血統を残そうと、多くのファンの支援によるクラウドファンディングで種牡馬入りを果たしたのです。
この馬の血統表には、
ミスターシービー
シンボリルドルフ
という二頭の三冠馬の名前が刻まれています。
現役時代には何度戦っても交わることのなかった二頭。
しかし時を超えて、その血は一頭の馬の中で再び出会いました。
競馬とは、こうした血の物語を楽しめるスポーツでもあります。
クワイトファインがどのような未来を紡いでいくのか。
その行く末にも注目していきたいところですね。
最後に
やはり、後方から一気に差し切る馬というのは強烈に印象に残るものです。
私自身、リアルタイムで見たディープインパクトが最後の直線で翼を広げるように加速した瞬間には鳥肌が立ちました。
そしてミスターシービーもまた、そんな馬でした。
出遅れる。
不利を受ける。
気がつけば最後方。
誰もが
「さすがに届かない」
と思う位置にいる。
ところが次の瞬間には、常識では考えられない脚で前との差を詰めていく。
そして気付けば先頭に立っている。
その走りは、強さだけではありません。
危うさと意外性。
そして何が起こるかわからない期待感。
それらすべてが同居していました。
だからこそ、多くのファンを魅了したのでしょう。
もしかすると、
「今は苦しくても、最後にはきっと報われる」
そんな願いを自分自身と重ねながら応援していたファンもいたのかもしれません。
その人気と個性を象徴するように、JRAヒーロー列伝で贈られたキャッチコピーは、
「ターフの偉大なる演出家よ」
でした。
観客をハラハラさせ、
驚かせ、
そして最後には歓喜させる。
まるで自らの勝利を演出しているかのような走りへの、最大級の賛辞です。
また、JRAが実施した「20世紀の名馬」ランキングでは18位に選出されています。
その競走生活は、決して完璧なハッピーエンドではありませんでした。
後輩であるシンボリルドルフという怪物に敗れ、栄光のまま引退したわけでもありません。
それでも――
競馬の常識を覆し続けたその走りは、今なお多くの人の記憶に残っています。
最強だったかと聞かれれば、異論もあるでしょう。
ですが、
最もロマンを感じさせる馬は誰か。
そう問われたなら、ミスターシービーの名前を挙げる人はきっと少なくありません。
それほどまでに、この馬は人々を魅了しました。
推しの方は、ぜひウマ娘でもミスターシービーとともにターフを駆け抜けてみてください。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。
それではまた。
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