こんにちはピヨたけです。
競馬にたらればは厳禁ですが、それを想像してやまない馬の一頭がドゥラメンテです。
ウマ娘も三周年を迎え、ついに実装になったドゥラメンテ。今回はドゥラメンテの軌跡と思い出について話したいと思います。
ドゥラメンテの競争生活
ピヨたけがドゥラメンテを初めてみたのはクラシックの初戦である皐月賞。
第4コーナーで大外に膨れて大斜行をかます馬が一頭。まるでドリフト走行のように横滑りしながら走るその馬を見て「なんだあの馬?」というのが一番最初の印象でした。
珍しいものを見たなと思いつつ、直線の攻防に注視していると、先程大斜行した馬がとんでもない勢いで飛び込んてきたのだからびっくり仰天。
異次元の末脚を見せて勝利した馬の名はドゥラメンテ。実況の「これほどまでに強いのか」は正しくピヨたけの内心を表していました。
上がり3ハロンは33秒9。二番手の馬と0.6秒も差があったのだから次元が違うように見えた末脚にも納得。皐月賞で上がり最速だった馬はダービーでも好走する傾向にあるので、「ダービーもこの馬だろうな」と思ったのを覚えています。
で、その予想は当たり、ダービーでも異次元の末脚を見せ完勝。キングカメハメハとディープインパクトが記録した2分23秒3を0.1秒更新するレースレコードでの勝利に「これはオルフェ依頼の怪物かも」と、三冠への期待が大きく膨らみました。
ところが競馬とは時に残酷なもので、放牧中に両橈骨遠位端骨折が発見され秋は走ることができず。三冠の夢は絶たれました。
実際にドゥラメンテが菊花賞を走っていたらどうなってたでしょうか?
産駒のタイトルホルダーは菊花賞と天皇賞(春)を勝っていることを考えると距離は大丈夫だったんじゃないかと思います。
問題は折り合いで、ドゥラメンテは気性が激しい馬だったことで知られており、長距離になると折り合いを欠いてとどかなかった可能性はあると思います。
勝ったキタサンブラックのその後の活躍は言わずもがなですが、この時点では本格化前。と考えると完成度の高かったドゥラメンテが折り合いさえ問題なければ勝ってた気がします。
その後、中山記念で復帰しドバイシーマクラシックに出走。蹄鉄が落鉄し打ち直しできずに出走というアクシデントに見舞われながらも2着に好走したことから、「今年はドゥラメンテが中心になるだろうな」と思ったものです。
そしてドゥラメンテはドバイシーマクラシックから宝塚記念に直行。天皇賞(春)を勝利した宿敵キタサンブラックを抑えて単勝1.9倍の一番人気。長距離ならともかく、2200ではドゥラメンテの方が強いと思っていたピヨたけは、ドゥラメンテの勝利を疑いませんでした。
ところが勝ったのはドゥラメンテでもキタサンブラックでもなく牝馬のマリアライト。ドゥラメンテは追い込んだがわずかに届きませんでした。強さは見せたと思いますが正直この結果には「えっ?」という感じでしばらく放心していたのを覚えています。
このレースの後、ドゥラメンテは複数の靭帯、腱の損傷により引退。ドゥラメンテの現役生活は終わりを告げました。
近代日本競馬の結晶
ドゥラメンテの親は父キングカメハメハ、母アドマイヤグルーヴ。
母のアドマイヤグルーヴは父サンデーサイレンスで母はエアグルーヴ。そのエアグルーヴの父はトニービン、そして母はノーザンテースト産駒のダイナカールです。
つまり、ドゥラメンテの血統にはノーザンテースト、トニービン、サンデーサイレンス、キングカメハメハと時代と共に日本競馬を支えてきた名種牡馬達が並び、これらは日本独自に発展してきた正しく近代日本競馬の結晶と言うべき血統背景なんですね。
しかしこの血統は大量にいるディープインパクト系牝馬とキングカメハメハ系牝馬に種付けできないという弊害があって、配合相手はほとんど海外からの輸入牝馬が主体。
そういった制約の中で、タイトルホルダー、スターズオンアース、リバティアイランド、ドゥレッツァ、アイコンテーラー、シャンパンカラー、ドゥラエレーデと7頭のGⅠ馬を排出。
たった三世代でこれだけの馬たちを生み出した事はドゥラメンテという馬が種牡馬として物凄いポテンシャルを持っていた事の証明でもあります。
しかし2021年8月31日19時、急性大腸炎のため、繋養先の社台スタリオンステーションで死亡。タイトルホルダーがドゥラメンテ産駒として初めてGⅠを制するのがその2ヶ月後の菊花賞だったのだから運命というのは皮肉なものです。
たった三世代でこれだけの種牡馬成績を残したドゥラメンテが、もしも早逝せずに健在だったらこれからの日本競馬にどれだけの影響があったのか?残念ながらそれを知る術はありません。
近代日本競馬の結晶とも言えるこの血脈を後世に残すために、タイトルホルダーが元気に種牡馬生活を続けていける事をただ願うばかりです。
最後に
結局ドゥラメンテという馬はどのぐらい強かったのか?
同年代のライバル達はキタサンブラックを筆頭にリアルスティールにサトノクラウンと世代のレベルは間違いなく高かった。
そのハイレベルなライバル達を相手にして「これほどまでに強いのか」と感じさせたドゥラメンテの強さは本物だったはず。
ダービー後に負った怪我は競争能力を喪失されるものではかったと言われています。ですがピヨたけはこう思うのです。「果たしてドゥラメンテは怪我の後本気で走っていたのだろうか?」
それが怪我によるものなのか、それ以外の要因なのかはわかりません。けれど「これほどまでに強いのか」と感じさせたドゥラメンテの走りはそれ以後、最後まで見ることは叶わなかった。
もしも、もしもドゥラメンテが怪我をしなかった世界線を見ることができたのなら、近代日本競馬の結晶が日本競馬界の夢を叶える姿を見れた。ピヨたけはそう思わずにはいられません。
ここまでみてくださってありがとうございました。それではまた。
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