こんにちはピヨたけです。
キャンサー杯のモデル、宝塚記念は阪神競馬場で行われる夏のグランプリです。
さしずめ有馬記念が年末ジャンボなら宝塚記念はサマージャンボといったところ。名実況で知られる杉本清アナの「そして今年もあなたの、私の夢が走ります」から始まるレース前の実況も宝塚記念の名物の一つであります。
今回はそんな宝塚記念にまつわる名馬たちのエピソードを紹介。
執念と悲劇とそして奇跡の物語。
本当の強さは誰も知らない
騎手と競走馬、名コンビと言えば?と聞かれたらピヨたけが真っ先に思い浮かぶのは横山典弘騎手とメジロライアンです。
メジロライアンと言えばクラシック最有力とされながら惜敗を繰り返し、中々GⅠを勝つことができなかった。
観客動員数のJRAレコードを記録した日本ダービーではアイネスフウジンの2着。
圧倒的一番人気で臨んだ菊花賞だったが覚醒したメジロマックイーンの3着
そしてオグリキャップのラストランとなった有馬記念の2着とGⅠで勝ちきれない。
余談ですがウマ娘ではマックイーンがメジロ家の御令嬢で、ライアン・・・的な感じに描かれていますが、実際に可愛がられていたのはライアンだったのかもしれないですね。何しろクラシックで勝てなかったライアンを何とかして勝たせるためにマックイーンを有馬記念回避させてますから。結果的に主役はオグリになりましたが。
そんなこんなでGⅠではあと一歩というレースが続いたライアン。しかし鞍上を務めた若き日の横山典弘騎手は負けても負けても「僕のライアンが一番強い、負けたのは自分が下手に乗ったから」と自分の騎乗ミスを認める発言までしていました。これって凄いことで、横山騎手はそれだけライアンの事を信じていたとわかりますよね。
しかし思いは届かず翌年の天皇賞(春)は4着。ここまで来るとライアンの実力は疑問視され、「横山をライアンから降ろせ!」と非難の矛先は横山騎手に。
そして背水の陣で迎えた宝塚記念。2200mは前年の京都新聞杯でレコードタイムを叩き出したライアンの最も得意とする距離。横山騎手も「ここで負けたらライアンが一番強いとは言わない」と決死の覚悟で臨んだそうです。そして敵は同期にして同郷の最大のライバル、メジロマックイーン。
絶対に負けられないライアンはこれまでの後方から行く作戦を捨て、まさかの先行策。なりふり構わず勝ちに行く!そんな気迫のこもった騎乗。ライアンは4コーナーで先頭に立つと猛然と追い込んできたメジロマックイーンを凌ぎ切り、ついに悲願のGⅠ制覇。横山騎手とライアンの執念の勝利となりました。
ライアンがその後GⅠを勝つことはありませんでしたが、横山騎手は後に「ライアンの持っている力を発揮させてあげることができなかった」的なことを語っており、それがあってかJRAヒーロー列伝のキャッチコピーは「本当の強さは誰も知らない」勝ちに恵まれなかったが、その能力は計り知れないものだったとしています。ウマ娘のライアンの固有スキルも発動すれば最強なのはこのキャッチコピーが影響しているかも。
現在は大ベテランになり、数々の一流馬に騎乗した横山騎手に一番強かった馬は?と聞いたとしたら、さすがにライアンとはならないかもしれません。しかし一番好きだった馬は?と聞けばもしかしたら、若き日のベストパートナーの名前が返ってくるかもしれませんね。
主役になるはずが…
ダビスタ96で思い出深いライバルといえばライスシャワーです。いつでもどこでも現れるライスシャワーは一番多く戦ったライバル馬で、しかもとんでもなく根性のパラメータが高く直線で競り合いをすると、最後に頭をピョコンと抜け出されて負けるという。まずライスシャワーに安定して勝てるかどうかが強さのバロメーターになってましたね。
92年の菊花賞は皐月賞・ダービーを制したミホノブルボンの無敗の三冠が掛かったレース。しかも前年のトウカイテイオーも同じく無敗の二冠馬になりながら怪我で菊花賞に出走することが叶わなかったことから、今年こそは無敗の三冠馬の誕生に期待が大きくなっていました。
しかしレースを勝ったのはライスシャワー、しかも3000mの日本レコードでの勝利で初のGⅠ制覇となりました。
三冠達成の期待が大きすぎたことから、競争後の場内は拍手もなく、ちょっとおかしな雰囲気だったという。
ライスシャワーの不幸は続き、翌年の天皇賞(春)。今度はメジロマックイーンの天皇賞(春)三連覇が掛かったレースで、またしてもライスシャワーは勝利。
この時、勝利騎手インタビューにおいて鞍上の的場騎手に対して質問したのは「勝った感想」ではなく、「マックイーンの三連覇を阻止した感想」であったことから、周囲の雰囲気を図ることができます。このあたりはアニメ2期でも描かれているので、ああいう雰囲気だったんでしょうね。
その後ライスシャワーはスランプに陥り勝ちから遠ざかります。この間に競争生命を危ぶまれるほどの重症をおい、引退も検討されますが現役を続行。怪我を乗り越えた二年ぶりの天皇賞(春)で三度目のGⅠ勝利を果たし復活を遂げます。
そして迎えた宝塚記念。この年に発生した阪神・淡路大震災の影響で阪神競馬場で開催できないため京都競馬場での開催となったこのレース。得意の京都競馬場でファン投票は1位、そして一番人気に支持されます。これまでヒールとして扱われてきたライスシャワーがついに掴んだ主役の座。
レース後には満場の拍手が迎えるはずでした。しかし第3コーナーで転倒、粉砕骨折を発症し診療所まで運べず安楽死の処置がとられました。鞍上の的場騎手は軽症だったことからこれを見届け、担当した厩務員は手綱を握りしめたまま泣いていたそうです。
馬名の由来は結婚式の「ライスシャワー」から。みんなに祝福してもらえるような馬になって欲しいとこの名がつけられました。そんな陣営の思いとは裏腹に、ただひたむきに勝利を目指すことによって悪役になってしまった希代のステイヤーの物語はこうして幕を閉じました。
現在では昔に比べるとレース中の予後不良は格段に減っています。それは馬場の改良や調教技術の進歩など、これまでの経験によるところが大きい。ライスシャワーはその血を後世に残すことはできませんでしたが、その存在が今日の競馬を作り上げる礎になっていることは間違いありません。
背中を押してくれたのは
古馬GⅠの最高峰。天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念。この五大レースを一年間で制覇し、グランドスラムを達成した馬はこれまでただ一頭しかいません。そうテイエムオペラオーです。
テイエムオペラオーの生涯成績は26戦14勝。うちGⅠ7勝。獲得賞金18億3518万9000円は歴代3位の記録。そしてその全レースの手綱を握ったのは、当時デビューして3年目の和田竜二騎手でした。
これって現代では考えにくいことで、例えばオペラオーは皐月賞を勝っていますが日本ダービーはアドマイヤベガとナリタトップロードに次ぐ3着に敗れています。この時点で秋からは別なベテラン騎手に乗り替わりになるのが現在の風潮。有力馬はより実績のある騎手に優先的に回るような仕組みになっています。
しかしテイエムオペラオーはデビューから引退までの全レースに和田騎手が騎乗しています。その理由の一つがテイエムオペラオーが負けなかったということでしょうね。
本格化してからのテイエムオペラオーは旧5歳時に年間無敗と5大GⅠを制覇するグランドスラムを達成しています。これは後にも先にもテイエムオペラオーだけで近年ではこの5レース全てに出走すること事態が稀です。あのキタサンブラックでさえも宝塚記念とジャパンカップでは負けており、この記録がいかに偉大なものかを物語っています。
当然オペラオーも楽に達成したわけではありません。特に絶体絶命だったのは有馬記念。
グランドスラムが掛かったこの一戦、オペラオーだけは勝たせるものかと全馬から徹底マークにあい序盤から中団の後方に位置する展開に。このまま外を回っては直線の短い中山では前をとらえられないと判断した和田騎手は一か八かの賭けにでました。
外ではなく詰まる可能性のある内を選択。そうでもしなければこの位置からでは届かない。決死の覚悟で内をつくもこれが裏目にでる。内は前が全く空いておらず内で詰まる恐れていた展開に。そうこうしている内に最後の直線、抜け出すライバルのメイショウドトウ。
誰もがテイエムオペラオーは馬群に沈んだ。グランドスラムの達成はならなかったと諦めた瞬間、テイエムオペラオーは僅かにできた隙間に飛び込み、馬群を割って突き抜けます。そしてそこからとんでもない末脚を見せ前を行くメイショウドトウをハナ差でとらえて優勝しグランドスラム達成。
包囲網をしかれても馬群を突き抜ける精神力、絶望的な位置からでも届いた末脚、さらに言えば有馬記念当日の朝、壁に顔面を強打し鼻血、そして腫れで片目が見えない状態での勝利なのだから凄まじい馬です。
和田騎手はオペラオーの引退式で「オペラオーにはたくさんの物を貰ったが、あの馬には何も返せなかった。これからは一流の騎手になって、オペラオーに認められるようになりたい。」と語りました。
オペラオーの引退から17年の時が流れ、名実ともにトップジョッキーとなった和田騎手。しかし中央GⅠ勝ちだけは遠く、オペラオーで勝利した01年の天皇賞(春)を最後に遠ざかっていました。
そして18年5月17日テイエムオペラオー急死。
翌月の宝塚記念でミッキーロケットに騎乗した和田騎手は見事オペラオー以来のGⅠ制覇を果たします。勝利騎手インタビューで和田騎手は「この一戦にかける思いだった。オペラオーが背中を押してくれました。勝ってオペラオーに報告したかったんですけど…やっと胸を張って報告ができます。」と涙を浮かべました。
思うに和田騎手は亡くなったオペラオーに勝利を捧げるために並々ならぬ覚悟と決意で宝塚記念に臨んだのでしょう。それが最後の最後で後押しになったとピヨたけは信じています。
つくづく競馬に神様はいると思わされるエピソードの一つです。
最後に
ということで宝塚記念についてのエピソードを3つ取り上げてみました。
それぞれ有名な話でもっと深く取り上げられているサイトはいっぱいあるので気になったら調べてみてはいかがでしょうか?
最後に宝塚記念の名実況でお馴染み、杉本清アナの99年宝塚記念のスタート前の実況を紹介して終わりたいと思います。
「今年もまたあなたの、私の夢が走ります。あなたの夢はスペシャルウィークかグラスワンダーか。私の夢はサイレンススズカです。夢かなわぬとは言え、もう一度この舞台でダービー馬やグランプリホースと走って欲しかった」
サイレンススズカから競馬を見始めたピヨたけにとってこの実況を思い出すと、そっと涙がこぼれます。
ここまでみてくださってありがとうございました。それではまた。
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